地震

人の作ったプログラムを分からねー分からねーとつぶやきながらデバッグしていると、 地震。 最初はいつものようにすぐおさまると思っていたら長い。 段々強くなっていく。 とうとう電源が落ち、 「やられた」 などとまだまだ気楽に考えている。 そのうち PC 倒れ机上の書類の山が崩れて床に散乱する。 PC 抑えながら 「身を隠せ」 と言ってみたら他の人たちはすでに机の下に潜り込んでいる。 流石に不安になって天井をにらめるが今のところ異常なし。 まだ揺れてはいるが。

揺れ収まって外をみると何人かが退避している。 誰かが 「外に出た方がいいんじゃないですか」 と提案する。 みんな取るものもとりあえず、 非難訓練通りに建屋の裏庭に出る。 建屋の 2 階、 3 階の窓をみると、 まだガタガタと揺れている。 余震だ。 しかも大きい。 部署毎に整列しようとしたが、 みな窓から離れる。 2、 3 階の窓いくつか開けられているが、 こういう時は閉めたままのほうがよかったんじゃなかったかな。 3 階で作業している車椅子の S さんを、 おいて来ちゃったと言って何人か探しに戻っていた。

一時間経っても余震おさまらず。 海をみると船いくつか港を離れていく。 市の防災の広報車が、 16 時 30 分に 6m の大津波が到達するので高台に避難しろと叫んでいる。 海岸の潮が引き出した。 5 時ごろから雨が降るんじゃ無かったっけと言う人がいて不安が増す。 みんな携帯で家族に連絡しようとしているがつながる人は稀。 津波は堤防を超えたのがはっきりと見えた。 広報車、 まだ避難を呼びかけて叫んでいる。 咳き込みながら。

寒くなって来たし、 トイレに行きたくなって来たので意を決して建屋に入ってみる。 トイレは人が並んでいた。 小用するも水は流れず。 センサー式だからか? でもセンサー式の手洗いの水は出た。 床をみると壁のタイルが 2、 3 枚欠けて落ちていた。 自席に戻りコートだけとって外に出る。

そうこうしているうちに、 中に入って荷物を持ってくるように指示がでる。 床に散乱したものを片付けている人が何人かいたが会社の消防隊から、 荷物だけにしてすぐ出るように言われる。 外にでると、 同じグループの人、 上着も荷物も持っていない。 とって来たらいいのにと言ったら、 「荷物は上着一枚だけなので(危険を冒してまで)とりにいく価値はありません」 という。 寒いのに……。

みな外に出たころを見計らって、 解散の指令が出る。 JR は全面ストップ、 道路の信号も消えているので気をつけて帰るように、 明日の出勤はなし、 明日上長から連絡するとのこと。

帰る方面の同じ職場の人と 3 人で、 とりあえず駅に向かう。 二駅先の一人は歩く気満々なようだが、 四駅も先の二人は流石に歩いて帰るなど考えられない。 田舎の電車じゃ都会の駅の感覚(間隔)とはわけが違う。 自分の家まではタクシーで九千円はかかる。 と言って、 タクシーが捕まるとも思えないが。 ぼちぼち歩いていると一人が、 エスティマで来ている知り合いに連絡が取れた。 なんと、 見ず知らずのこっちまで送ってもらえるそうだ。 地獄で仏に会うとはこのことか。 聞くと会社の近くに住まいだとか。 本当に仏に思えて来た。 駐車場に行く途中でもその方の知り合いに会って、 合計五人がお世話になる形で出発。

裏道を駆使して 6 号国道に出ようとするが、 考える人は同じでどこも渋滞。 信号も消えているから余計に遅くなるのだろう。 17:00 頃に送られて来た妹からのメールが、 17:30 頃ようやく着信する。 私の家の部屋を見に行ってくれたようで、 部屋の写メが添付されていた。 ひどい有様。 妹のほうは怪我もないようだ。 それ以降圏外になってしまうので、 バッテリ温存のため電源を切る。 30 分間隔で電源をいれて確認するが、 いつも圏外ばかり。 久慈川にかかる橋の両端に 20cm 近くあるんじゃないかと思える程の大きな段差ができていた。 道路の状態も渋滞の一因か。

22 時過ぎ、 ようやく佐和駅に到着。 3 人が降りる。 勝田駅の近くで、 会社で見かける人と似た背格好の人を見かける。 歩いてここまで来たのだろうか。 ここへ来て勝田橋、 湊大橋不通の情報メールが届く。 思い出したかのように茨城放送をつけてみると、 6 号国道の浜田十字路から酒門六差路まで通行止めのニュースが。 これでは自宅まで届けてもらうことは無理だ。 下手をしたら自宅へ向かう国道 51 号と 6 号の交わる陸橋が崩落してるのかもしれない。 それ以前に水戸駅までたどり着けるかも分からない。 知人が電話して水府橋を通れることがわかる。 丁度市毛十文字の交差点手前にいたので、 右折して国道 349 号方面へ。 しかし通行止めで 349 に左折出来ない。 仕方なく直進して国道 118 まで。 こちらは渋滞もなく橋を渡れた。 そこから大工町を経由して千波大橋を渡り、 酒門六差路近くの知人宅へ。 もうすぐ 0 時になんなんとする。 知人一旦車を降りて家族の元へ走り、 車のキーを渡す。 今日に限ってキーを持って出てしまったのだとか。 そして、 案内のためにまた車に乗り込んでくれた。 家族が心配だろうと言うのに、 感謝してもしきれない。

6 号の通行止め、 上り方面だけとのニュースを聞き、 酒門六差路から国道 51 号と交わる陸橋へと左折する。 が、 ここで渋滞。 しかしここまでの道すがらの渋滞ほどではなく、 しばらくして 51 号にでられる。 ここからはもうスイスイと。 無理を言って自宅前まで車をつけてもらって 12 時 36 分着。 本当に感謝してもしきれない。

さて、 玄関の鍵を開けようとするが開かず。 どうしたものか途方にくれようと思ったが、 試しに縁側のサッシに手をかけてみると、 あいた。 地震の振動で偶然にも鍵があいたのか。 それとも洗濯物が知らぬ間に軒下に干してある所をみると、 親戚の叔母が地震前に掃除をしに来てくれた時に開けて行ったものか。 どちらにしても感謝の念がたえない。

キーホルダーにしていた小さいマグライトをたよりに大きいマグライトを探す。 予備の電池もあり。 これで明かりを確保でき、 ほっとする。 暗闇では何もできない。 ほっとしたのか尿意。 小用を足して流すと水が出ないことに気づく。 それなら大きい方も一緒にしておけばよかった。 そして大きい方も催す。 風呂残り湯が抜かないであったので、 洗面器でそれを汲んで便を流す。

二階の万年床の上には、 布団の横の本棚二棹が倒れ込んでいる。 片付けないと寝るに寝れないが、 片付ける気力わかず。 余震も多く、 また倒れてきたら怖い。 そういえば叔父の快気祝いが毛布だったのを思い出し、 それを箱から引っ張りだす。 感謝。 一階で寝ることにする。

携帯は未だに圏外。 マグライトの明かりに気づいたのか、 外で猫の声がする。 猫を家にいれて餌をやる。 なんとなくびくびくしている。 炬燵の上に叔母がおにぎりを三つ差し入れていてくれた。 これもまた感謝。 しかし一つの半分しか食べる気にならず。

座布団を三枚並べ、 コート着たまま毛布をかけて横になる。 コートはフランス野戦部隊の古着なのだが、 そのせいかとても暖かい。 猫はしばらく横にいるが、 少したつと立ってうろつき廻ってを繰り返している。 そのうち隣でうずくまって寝る。 しかしこちらはまんじりともできない。 かなり興奮しているのだろう。 余震はまだ続いている。

午前三時頃、 防災無線で 「大波警報が出ています。 高台に避難してください」 とアナウンスがある。 海岸からは何キロも離れているというのに。 海抜の問題だろうか。 さすがにドキドキしてくる。 車に猫を乗せて避難しようかとも思ったが、 とりあえず二階に上がることにする。 水がきたら外に脱ぎ捨てた靴が流されちゃうだろうなと、 こんな時にどうでもよいことが頭をよぎる。

二階に上がり、 とりあえず本棚を一棹だけ起こす。 本は全部布団の上。 なんとか脚だけでもねじり込ませる分の本を取り除き、 布団に脚を突っ込む。 上半身は叔父の毛布のお世話になる。 余震まだ治まらず。 明け方になってどんどん寒くなってくる。 だんだん空が白んできた。